一人で続けた技術翻訳を終える。翻訳メモリと用語集は次の人へ渡せますか

技術翻訳の仕事を別の翻訳者や会社へ引き継ぎたい。長年使ってきた翻訳メモリや用語集も渡せば、顧客の負担を減らせそうです。

ただし、そのまま渡すのは避けます。

翻訳メモリには、原文と訳文だけでなく、未公開の製品名、仕様、修正履歴などが残ることがあります。用語集にも、顧客から提供された表記ルールと、自分で調べた一般用語が混在しています。

ファイルを保管していることと、第三者へ渡して利用させられることは別です。価格や後継者を決める前に、データの由来と契約を確かめます。

最初は一つの完了案件をたどる

フォルダーをまとめて開くのではなく、まず一つの完了案件を選びます。契約書、受領した原文、納品した訳文、翻訳メモリ、用語集を照合してください。

確認するもの 見る点
翻訳メモリ どの顧客と案件の原文・訳文か、他の顧客のデータが混ざっていないか
用語集 顧客からの提供、自分の調査、公開資料からの採録を区別できるか
スタイルガイド 作成者は誰か、顧客固有の例文や内部ルールを含むか
原文・参考資料 保存期間、返却、削除について約束がないか
翻訳支援ソフト 契約名義とライセンス条件、別の利用者へ移せるか
連絡先・案件記録 引き継ぐ仕事に必要な情報か、取得時の利用目的と合うか

由来が確認できないデータは、記憶で補いません。「顧客不明」「複数顧客が混在」「契約未確認」と記録し、引継ぎ候補から外します。

顧客名を削除しただけでは十分とは限りません。製品固有の文章、型番、仕様の記述から案件が分かることもあります。顧客別に確実に分離できない翻訳メモリは、丸ごと渡さない判断が必要です。

自分が訳した文章でも、自由に渡せるとは限らない

原文や訳文には、著作物に当たるものが含まれる可能性があります。秘密保持、再委託、資料の返却・削除について、別の約束が置かれている場合もあります。

文化庁の著作権契約マニュアルでは、著作物の利用許諾と著作権の譲渡を分けて説明しています。許諾された範囲で著作物を利用できる立場を第三者へ移す場合や、第三者による利用を認める場合には、権利者の承諾や契約上の定めが問題になります。

したがって、翻訳者が作成したファイルであっても、原文と訳文を次の担当者が再利用できるとは限りません。著作権だけで結論を出さず、顧客との契約、発注条件、秘密保持の範囲を一緒に確認します。

翻訳支援ソフトのアカウントも、翻訳メモリとは分けて扱います。パスワードは渡さず、ライセンスを移転できるか、新しい担当者が別に契約する必要があるかを提供会社へ確認してください。

候補者にはデータではなく概要を見せる

引継ぎ候補を探す段階で、翻訳メモリの中身を見せる必要はありません。次の情報があれば、対応の可否を相談できます。

  • 言語の組合せと技術分野
  • 翻訳メモリ、用語集、手順書の有無
  • 顧客別に分離できるか
  • ファイル形式と必要なソフトウェア
  • 契約書や発注条件を確認できるか
  • 事業全体、特定顧客の仕事、自作資料だけのうち、何を残したいか

顧客名、製品名、原文、訳文、作業画面の画像は外します。候補者の技量を確認するなら、自分で用意した文章か、利用条件を確認した公開資料を使います。

候補者と秘密保持契約を結んでも、元の顧客との契約で認められていない開示まで可能になるわけではありません。実データを見せる前に、顧客への確認が必要かを判断します。

登録件数より、説明できる範囲を見る

翻訳メモリの価値は、登録件数だけでは決まりません。古い仕様、修正前の訳文、別の顧客の文章が混ざっていれば、整理せずには使えません。

小さな用語集でも、出典、採用理由、使用しない表現、更新日が残っていれば、次の担当者は判断しやすくなります。

次の点をデータごとに記録します。

  • 最終修正が反映されているか
  • 顧客や製品ごとに分離できるか
  • 現在の仕様と過去の仕様を区別できるか
  • 用語の出典と更新日が分かるか
  • 別の環境で読み出せる形式か
  • 次の担当者による利用を契約上説明できるか

確認の結果、顧客固有の翻訳メモリは渡さず、自作の作業手順や品質確認表だけを残す選択もあります。特定顧客の仕事だけを引き継ぐなら、その仕事に必要なデータを分け、顧客の了承や手続を確認してから渡します。

個人情報と契約は、引継ぎの形を決めてから確認する

顧客担当者の連絡先など、個人データが含まれる場合もあります。

個人情報保護委員会の通則ガイドラインでは、事業譲渡などによる事業承継に伴って個人データが提供される場合、提供先は第三者に該当しないとする考え方が示されています。一方、承継後も、承継前の利用目的の範囲内で取り扱う必要があります。

仕事を紹介するだけの場合や、ファイルだけを渡す場合まで、自動的に事業承継になるとはいえません。引継ぎの契約形態、データの利用目的、顧客への説明を弁護士などの専門家へ示し、個別に確認してください。

著作権、秘密保持、再委託、契約上の立場の移転、資料の返却・削除も、契約書と実際の引継ぎ方法を合わせて確認します。ソフトウェアのライセンスは提供会社へ、データ利用の了承が必要な案件は顧客へ問い合わせます。

譲渡、利用許諾、引継ぎ支援のどれに対価を設定するかによって、契約や会計・税務上の扱いは変わり得ます。契約条件は必要に応じて弁護士へ、会計処理や請求方法は税理士へ確認します。

残すのは、次の人へ説明できるものだけ

翻訳メモリや用語集を残す目的は、過去のファイルを丸ごと渡すことではありません。次の担当者が使えるもの、顧客へ返すもの、削除するものを説明できる状態にすることです。

相手や金額が決まっていなくても、一つの完了案件をたどる作業は始められます。それで混在の程度と、確認すべき契約が見えてきます。

匿名相談を利用する場合は、実際の原文や翻訳メモリを添付せず、翻訳分野、データの種類、契約書の有無、どの仕事を残したいかをまとめてください。顧客名や製品名を伏せても、相談の論点は整理できます。

引継ぎを経験した方は、何を残し、何を渡さず、どの段階で顧客へ確認したかを、事業の物語として投稿する方法もあります。顧客を特定できる情報や機密の文章を載せず、判断の過程だけを共有する形です。

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